雑記

昨日の続き

ハードウェア技術とコンテンツは分けて議論するともっとわかりやすくなると思いました。

ハードウェア編

海外で、新しい商品分野が形成されはじめると、日本のメーカーはこぞって、類似品の開発をはじめます。ここで重要なのは、完全なコピーを作るのではなく、表層だけをまねつつ、日本市場向けの独自なちょっとした機能を追加したものを作ることです。こうすることで、無知な消費者には海外製品に似つつ、海外製品よりも高機能な商品が開発されたように見えます。基幹部分はてきとうに作るので、互換性は保たれませんが、互換性のなさは、先に市場をおさえられればかえって都合がいいので、意図してそのように作ります。このような計略は、国際市場を相手にする場合にはかえって不利なのですが、日本はそれなりに市場が大きいのでなりたつのです。

この段階で、市場をおさえられなければ、通常はニッチとして生きのこる選択をします。(航空機産業など)

しかし、この戦略がたまたまうまくいく場合があります。(NECのPC-9801、携帯電話、デジタルTV、デジタルオーディオ)その場合、国内市場は独自規格に支配され、国内メーカーの間だけの競争が行われます。

ただ、悲しいことに、基幹部分(コンセプト)をうけいれずに表層だけをとりいれたため、その後の競争も表層部分だけで行われることになります。新たなDNAが導入されず、改良できる余地が限定されているので、そのわずかな余地が特異的に進化を続け、俗によく言われる「ガラパゴス化」が進行します。

そうこうしているうちに、海外の巨大市場では基幹部分をゆるがす大きな進化がおこります。国内メーカーが市場に参入したころは、恒温動物は四足で子育てのための袋が付いているのがあたりまえだったので、カンガルーやコアラやフクロオオカミといった国内むけのバリエーションをいろいろ作って進化しているつもりだったのに、いつのまにやら海外では子宮で育てたほうがもっと安全である、ということにコンセンサスが変化して、海や空にまで哺乳類が進出していた、というような感じでしょうか。国内市場はすでに独自規格で独自進化の袋小路に至り、コンセプトから刷新しないとどうしようもない、ということに気付いても、そもそもコンセプトを作ったことがないので、海外市場での進化においつくことさえできません。

こうして、Windowsの発展とともにPC-9801は消滅し、iPodの出現でMDが消え、iPhoneの登場で現行タイプの携帯電話が消えます。デジタルTVはまだはじまってもいない市場ですが、ユーザの利便を考えない設計をつづける限り、インターネット経由の動画配信に駆逐されるでしょう。ただし、デジタルTVとデジタルオーディオの場合は、コンテンツ配信がからんでもう少し複雑な事情があります。これについては次の機会に。

余談ですが、Windows自体もMacの表層をコピーした商品だということは、その商品名に強くあらわれています。Macが出現した当時のMS-DOSの画面と見比べると、ウインドウの存在はたしかに強い印象を与えます。しかし、Macの重要なコンセプトはウィンドウではなくアイコンのほうにあります。1つのアイコンが1つのオブジェクト=実体を表す、という約束をもちこんだのが画期的なのです。MS社がMacを見て、アイコンではなくウィンドウが本質だと思ってしまったのは、商品名だけでなく、Windows3.1までのファイル管理システムからもみてとれます。3.1までは、Windowsの画面に表示されるアイコンやフォルダ階層は、実際のディスク上のファイルやファイル階層と何ら関係がない、仮想的な構築物、今のウインドウズで言えばショートカットの集合体のようなものでした。Windowsにとってはiconは単なる目印であって、それが実体と結びついているかどうかは重要ではなかったのです。

iPhoneの画面を見ると、ウィンドウは存在しませんがアイコンは存在します。Appleにとって、iPhoneはMacコンセプトの自然な進化形なのです。MicrosoftがiPhoneに対抗するものを出すとすれば(といっても、この市場でのMSの解はすでにWindows Mobileという形で示されているのですが)iPhoneに似た、でも根本のところでなにか勘違いしている、しかしiPhoneよりも機能の多いものを出してくるのでしょう。MS社の資金力で追い付くことはできるかもしれませんが、iPhoneを越えるものは出ないでしょう。ましてや国内のメーカーはどうするんでしょうか・・・。


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