水が凍るメカニズムの解明
(〜現代化学2002年12月号掲載〜)
背景
純粋な液体が凍る過程は、現在では次のように進むと考えられている。過冷 却状態の液体の中で、偶然に数十分子〜数万分子程度の大きさの結晶のかけらが 作られることがある。ほとんどの場合、そのかけらは小さく、まわりの分子と衝 突する間に融けて消滅してしまうが、大きなかけらがたまたま作られた場合には、 結晶が作られる速さが融ける速さを上回り、結晶はどんどん大きくなっていって ついにすべてが結晶になってしまう。
結晶化過程の理論的な研究は、70年以上前に遡る。Volmerらによる均一核生 成理論(1926年)は、結晶化がはじまるきっかけをうまく説明できる理論として現 在でも教科書に載っている。
均一核生成理論は、実験で観察される核成長の様子を、実験で測定しうる巨 視的な量(液体が固体になるときに放出される熱(潜熱)と、液体と固体の界面 エネルギー)のバランスで記述する理論だが、もし結晶化過程を分子スケールで 見ることができれば、分子の個性によって、結晶核生成過程にもさまざまなバリ エーションがあるはずだ。
水が凍ると何が起こるか、融けると何がおきるか
水分子は、酸素と水素の電気陰性度の違いにより、分子内で電子分布が偏ってい て、これが隣接する水分子間に静電的な引力をもたらす。これを水素結合と呼ぶ。 水の場合、分子の形状と電荷の大きさから、安定な分子配置は周囲の水分子と4 本の水素結合を持った四面体型になる。氷の水素結合ネットワークには、雪の結 晶と同じように六角形を基本とした美しい秩序をもっていて、個々の水分子が四 面体型の配置をとるために、結晶内部の空隙が多くなって密度が低くなる。
結晶化するときに体積が増加する物質は4B族元素(炭素、珪素、ゲルマニウム)な ど、ほかにもいくつかあるが、なかでも水がとびぬけて融点が低く、常温でこの ような相転移を観察できるのは水をおいてほかにはない。
また、氷が解ける際には、潜熱80cal/gが放出される。これは、水素結合の約 1〜2割が切れることに相当する。液体の水のなかでも四面体配置はかなり保たれ ているが、図からもわかるように全体的なネットワークの構造はまったくことなり、 水のネットワーク構造の中には、氷的な秩序はまったく見出すことはできない。 つまり、水は(8〜9割の水素結合が残っているにせよ)氷が部分的に崩れたもので はないのだ。水は凍る際にたった1割しか新たな結合を作らないのに、その分子 配列は劇的に変化する。
水の構造。黄線は水素結合を表す。 氷の結晶構造。
2つの結晶化過程
純水を静かに冷やしていくと、凝固点よりも低い温度まで液体のまま冷却す ることができる。これを過冷却状態と呼ぶ。室温から過冷却状態にゆっくりと冷 やしていっても、熱力学的な性質が不連続に変化するようなことはない。
実際には、純水を過冷却しようとしても、途中ですぐに凍ってしまう。ほんのわ ずかに含まれる不純物が氷を作り出すきっかけとなり、結晶成長が始まってしま うからだ。また、容器の壁面も氷の種を作ってしまう原因になる。水を-10度以 下に過冷却するには、ミセルに閉じ込めるなどの特別な工夫が必要になる。
現実の水が凍りやすいのはひとつには容器と接していたり、ほんのわずかながら 不純物を含んでいたりするせいである。もうひとつの理由は、分子数(アボガド ロ数)の大きさである。まったく不純物を含んでいなくても、分子数が十分に多 ければ、そのなかにたまたま結晶的な構造が生まれる確率は高くなる。そして、 いったんそのような氷のかけらができると、過冷却状態では氷の方が安定な構造 なので、核は雪だるま式に成長していくことになる。前者の、不純物や界面から の核生成を不均一核生成、後者の、揺らぎによって自発的に生まれる核生成を均 一核生成と呼ぶ。日常私たちが目にする結晶化過程はすべて、不均一核生成であ る。
水分子は、水素結合を介して3次元的なネットワーク構造を形成している。熱 ゆらぎによって一旦切れた水素結合を回復するためには、近くの分子と新たに結 合を形成しなければならないが、それぞれの水分子は4本程度しか水素結合を作 ることができないため、水分子の運動は非常に「窮屈」なものである。一方、水 と氷の構造は大きくことなるため、水の構造から氷の構造を作りだすためには、 非常にたくさんの水素結合を適切に組替えてネットワークトポロジーを変える必 要がある。このような制約の中で秩序ある構造を見付けだすことは、パズルを解 くことに例えることができる。
私たちは均一核生成過程に注目している。不純物などの「たね」がない場合に、結晶化への道筋・手順を水分子はどの ように見付けだすのだろうか。でこぼこしたポテンシャルエネルギー面上の多数 の配置の中から、ごく少数の低エネルギーな構造をいかに発見するか、という問 題は、タンパク質がどうやって自発的に適切な構造に折りたたまれるのか、とい う問題と本質は同一である。
乱雑な配置 秩序状態
計算機による均一核生成の再現
この30年の間に分子シミュレ−ションが新しい研究手法としてさかんになっ てきた。分子の間に働く力を理論的に計算し、分子運動を近似的に計算機の中に 再現するこの手法は、分子のスケールでおきていることを、まじかに観察できる ため、今では理論、実験とならんで、化学・物理の研究にかかせないものとなっ ている。
分子シミュレーションが行われはじめたごく初期から、研究者は結晶化過程 に興味をいだいてきた。固体-液体の間の相転移をとりあつかった最も古いシミュ レ−ションは、1957年にAlderらによって行われた。この時の計算は、剛体球分 子32個という、今から見れば非常に小規模なものだった。
その後計算機の性能は爆発的に向上した。1990年には、アルゴンのような単 純な分子を模した分子で、100万分子の大規模なシミュレ−ションが行われ、 核成長過程への興味はさらに大きな分子に向けられはじめた。しかし、水の結晶 化には長い間成功しなかった。 コンピュータシミュレーションであれば、界面や不純物の影響を除くのは容易だ が、実験とは異なる困難が待ち構えている。実際、これまで、容器壁や結晶表面 での結晶成長過程をシミュレーションしたり、水に外部から電場をかけて配列し やすくした条件での結晶化過程の研究はいくつかあったが、外場をあたえずに、 ゆらぎによって自発的に核が形成され、成長してゆくプロセスを再現したものは なかった。
凍った!
私たちの研究室では、6年前からこの問題にとりくんできた。純水からの最初 の結晶化は1998年に成功したが、そのときは水64分子の非常に小さな系だった。 分子数の少ない系での計算結果から、結晶化が起こりうる温度や密度の条件をお おまかに推定して、より大きな系(512分子、4096分子)をスーパーコンピュー タを用いて計算した。
計算の手順はおおよそ以下の通りである。まず、分子配列を乱雑化するため に、温度を400Kまで上げてしばらく分子動力学計算を行ったあと、温度を一気に 230Kまで下げ、その後温度を一定に保ったまま計算を続けた。系の密度は常圧で の水と氷の密度のちょうど中間とし、周期的境界を持つ立方体セルで密度一定で 計算を行った。以下では、主に512分子系での結果を示す。
凍るまでに要した時間は250ns、これは単独の水分子の回転運動の時間スケールがせ いぜい数十fs程度であるのに比べるといかに長いかがわかる。結晶化をシミュレー トするには、数億ステップの分子動力学計算を必要とした。
図には、230Kになってからのポテンシャルエネルギーの変化を示す。結晶化過程 はポテンシャルエネルギーの変化の様子から、次の4ステージに分類できる:
- 液体状態での非常に長い待ち時間
- 250ns以降のゆるやかな低下
- 290ns以降の急激な低下
- 320ns以降、ごく緩やかに低下する過程
ポテンシャルエネルギーの時間変化。 この時、核はどのように形成されてゆくのだろうか。 水素結合をその寿命に応じて色分けすることで、固体的な領域と液体的な領域を 描き分けることにした。この温度では液相の水素結合はおおよそ180psの寿命が あるので、その10倍にあたる2ns以上の寿命の水素結合が形成する領域を固体的 領域とみなした。
図には、水素結合を、寿命が長いものほど明るい色で描いてある。第2ステー ジから、寿命の長い水素結合が生まれ、徐々に成長する様子を見ることができる。 第3ステージでは固体領域は周期的境界を越えて連結して大きなドメインを形成 する。
結晶化過程のスナップショット。上より、第1ステージ(200ns)、第2ステージ(260ns)、第3ステージ(300ns)、第4ステージ(340ns)での構造。寿命の長い水素結合ほど明るい色で描いてある。
結晶化の各ステージ
核の内部構造はどのようになっているのだろうか。シミュレ−ションなら、核の 水素結合ネットワークの部分構造を、氷(氷I相だけではなく、ほかのさまざまな 相も含めて)の水素結合ネットワークの部分構造と照合することで、氷の構造の 断片が核のなかに含まれているかどうかを調べることができる。
第二ステージでの核の構造上の特徴は、液体に比べてネットワーク欠陥(脚注: 水素結合が4本でない水分子をネットワーク欠陥と呼ぶ)の割合が少な く、四面体配置のゆがみが小さく、相対的に密度が低い一方、長距離の周期的な 構造は見出せず、アモルファス(非晶質)的な構造である。
一方、第3ステージの核の構造は、結晶の断片的な構造をたくさん含んでいて、氷の 小片と考えてよいだろう。
もともと過冷却下の水の中には、低密度な構造のドメインと、高密度な構造のド メインが混在していると言われている。このうち、低密度な部分のほうがネット ワーク欠陥が少なく「固い」構造である。今回の計算のように非常に深く過冷却 した環境では、このような密度の低いドメインがまず形成され、この構造が氷と水の構造の大き な違いを橋渡しし、自由エネルギー障壁を下げているのではないかと考えている。 つまり、結晶核の表面を非晶質氷が「濡らす」ことで、液体と結晶をなじませ、 核の成長を容易にしているのではないだろうか。
第4ステージでは、水分子は結晶的な配列を持っているものの、かなりの量の欠 陥を含んでいるため、さらに計算を続けると非常にゆっくりとネットワーク構造 を組み替え、徐々に欠陥の少ない安定な構造に変化していく。
第1ステージでは、核が間欠的に生成しているが、十分な大きさに成長すること なく消失してしまう。消失した核のサイズや形状を解析して、第2ステー ジ以降成長を続けた核の構造と比較した結果、生成消滅している核内部の構造は、 第2ステージで成長しはじめた核と同様であることがわかった。
つまり、核生成理論が想定したように、核は、間 欠的に生成と消滅を繰り返し、ある時に偶然ある程度のサイズの核が形成される と、それが(多少サイズや位置を変えながら)徐々に大きくなっていく。ただし、 初期の核の形状は球形ではなく大きくひずんでいて、内部は非晶質的な構造をもっ ているので、単純に核生成理論をあてはめることはできない。水の均一核生成過 程をうまく表せるような拡張が必要であり、これは今後の課題である。
おわりに
水の均一核生成過程を見ることにはじめて成功したとはいえ、まだ非常にサンプル数 が少なく、一般的な結晶化過程を議論したり、実験データとの定量的な比較がで きる段階には至っていない。 私たちの研究の目的は、パズルの答(氷の構造)をさがすことではなく、パズルの 解き方(結晶化への道筋)を見付けだすことである。その意味では、今回の結果はほんの手掛 りにすぎない。 今後は、さらに分子数の多い系で、多数の結晶化計算を行い、より緻密なデータを得 て、分子スケールでの結晶化過程の描像を明らかにしていきたいと考えている。
参考文献
(引用文献ではなく、できるだけ関連学習図書を選んでおきます)
- カウズマン/アイゼンバーグ, 「水の構造と物性」、みすず書房 (1975)
- ザイマン、「乱れの物理学」、丸善 (1982)
- F.F. Abraham, “Homogeneous Nucleation Theory”, Academic Press (1974).
- F.Franksほか, “Water A Comprehensive Treatise”, Plenum (1972).
- チェイキン/ルベンスキー、「現代の凝縮系物理学」、吉岡書店 (2000).
- 上田顕、「コンピューターシミュレ−ション」、朝倉書店 (1990).
- M.Matsumotoほか、Nature 416, 409-413 (2002).
- E.Shirataniほか、J. Chem. Phys. 108, 3264 (1998).