(名古屋大学物質科学国際研究センターニュース9号に寄稿した研究紹介文です)


宇宙から地球を眺めると、そこに見えるのは広大な海、極地の巨大な氷原、そしてその上空を覆う雲、これらすべてが水でできており、むしろ「水球」と呼ぶのがふさわしい。地球表面の大部分を覆う海は地表の温度を調節し、生命に必要な栄養を溶かしこみ、物質の循環をうながして、血液とも言うべき様々な役割をはたしている。太陽系の他の惑星と見比べると、液体が表面の大部分を覆う惑星はほかにはない。外惑星は水の宝庫だが、ほとんどが凍結している。大半の物質が固体や気体で存在する星では、化学反応が遅いために、生命が生まれたとしてもその進化はとほうもなく遅いだろう。このように水が豊富な環境で、地球上の生命は液体の水を反応媒質として、あるいは輸送媒質、冷却剤、構造材として、その性質を余す所なく利用し尽している。私たち自身も水の星に生まれ、水とともに進化し、水に日々身近に接しているので見過しがちだが、水はいろんな変わった性質をもつ物質である。結晶の密度が低く(氷は水に浮かぶ)、4℃以下に冷却すると膨張しはじめ、分子の大きさのわりに融点が高く、熱容量が大きく、静電気に引きよせられ、非常に多様な結晶構造をとる。こういった性質を、生存競争に勝ち抜くのに利用できるなら、生命は間違いなくその性質を利用してきただろう。だとすれば、水がどのような性質を持つかを知ることは、私たちが生きているしくみを理解する上で欠かせない。

液体の水の中では、水分子は水素結合と呼ばれる柔軟な結合で互いに結びつき、3次元的につながったネットワークを形成している。この結合がなければ、水のような軽い分子は常温ではたちまち揮発し、液体ではいられない。温度が低いほど、水分子は互いに水素結合で強く結びつこうとするが、個々の水分子は4本しか結合を持つことができないので、ぎゅうぎゅうとつまった混んだ構造をとるよりも、隙間の大きい構造をとろうとする。このことが、水が4℃以下で膨張しはじめ、また氷が水に浮く原因である。

水の変わった性質のほとんどは、実は水分子そのものの性質というよりも、この水素結合ネットワークの「つながり方」=トポロジーに由来している。したがって、水を知ることはネットワークのつながり方やその変化の様子を知ることに他ならない。しかし、実験的手法では今のところ、水素結合の有無までは見えてもネットワークのつながり方まではわからない。そこで、私たちは、分子シミュレーションを行い、 コンピュータの中で水の物性を再現し、そこに計算機解析を駆使して、たくさんの水分子がからんだ複雑な構造や運動の中に隠された秩序や規則を見つけ出してきた。

例えば、水のネットワークのつながりが次第に変化して氷やメタンハイドレートができる過程、逆に氷が融解して水に変わる過程、水を過冷却(0℃よりも低温に冷やすこと)すると膨張して物性が急激に変化する過程、水や氷の中の水素イオンが高速に移動する過程、あるいは水が他の物質を溶かし込み、あるいは析出する過程など、水とそれ以外の物質では機構が大きく違い、水に特化した説明が求められる現象を選んで解析を行っている。

このように特殊さが強調される水だが、水と同じようにネットワークを形成する物質(例えばシリコン、シリカガラス)もまた、様々な点で水と共通した性質を持っている。ネットワーク形成性物質に共通な物理を見付け、水の様々な変わった性質に統一的な説明を与えることが私たちの目標である。


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